今年も8/15がやってきました

もう61年ですか。

歴史問題を論じるときに、毎回違和感を感じます。

今の価値観で歴史問題を語っている。

それは何より、現在の問題にプレゼンスするために、
歴史問題を利用していることの証左であるように思います

65年前当時の視点で、アジアを取り巻く文脈を眺めてみれば、
おのずと先の戦争の見え方はかわって来るでしょう


ただ、僕らの年代は当時に生きていたわけではないから、
推測するしかない


右の人も左の人も、それぞれ、両方の側面について取り上げて、
いろいろ主張します。

左の主張は、勝負に勝った側の理論であるだけに、
それは表裏両面ある戦争の一面しか捉えていなかったとしても、
それで「手打ち」にした、という現実を前に、長い間、「正論」とされてきたわけです。

最近顕著になっているのは、「手打ち」として、一方の側面しか捉えず、
時としてフィクションも交えて語られてきた論法を、
「真実」と思い込んでしまっている人と、
もう片方の側面の存在を知って、「正論」の欺瞞を追及する動きです

議論の場になると、互いに両面のそれぞれに立って議論するもんだから、
決着がつかない

まぁ、それでも、議論の場になれば互いに色々見聞が広まるわけなんだけど。


問題なのは、両方の側面を知っていながら、
ある特定の目的のために片方の側面のみを意図的に取り上げて議論を展開する人たちがいることです

メディアを見ていると、特にそう思います。
今のメディア不信は、メディアのそう云うところにあるのだと思います。

各メディアは独自の情報ソースを持ち、
独自の取捨選択をして報道してもらいたいものです。