アブラハム問題について考える

アブラハムvsやまもといちろう のバトルを眺めている

双方、誠実に(※)議論しているという前提で軽くヲチしながら
双方の意図を忖度してみるのですよ


彼らは、(日本では)新しい金融ビジネスモデルを武器に、事業を成功させるために、自分たちなりの誠実さで「努力」している

やまもと
ネットで発見した「危なっかしい人たち」にツッコミを入れるということを「芸」としている(「ツッコミ」そのものをコンテンツとして、ネットに放流している)


今起こっている事象は、油の「誠実な努力」が、実はとても危なっかしいものであることを、やまもとがツッコミを入れるという形でおもしろコンテンツ化させた事例なのかな、と。


イケダハヤト的な言論や、油の怪しげな広告(1億というインパクトのある数字)は、確かに目新しいのかも知れない。
が、それは彼らの発明ではない。

既に先人が通った道であり、それが誤りであったり有害であることを我々の社会はすでに知っているから、誰も踏み入れなくなった道なのだ。

だからこそ、イケダハヤト的な生き方をする人はいないし、
油的な広告が、法で禁じられているのだ。



現代社会を構成している主要な価値観や決まりごとは、
画期的なアイディアのように見えてしまう本質的な愚行を抑止するためのものなのであって、既得権者の利益を守るために新規参入者を排除するという目的だけのためにあるわけではないです。



眠くなってきたので、続きはまた今度