試しに、記事批評をしてみる

試しに記事の批評をしてみましょう。

当然、クソみたいな偏狭なブロガーの批評なので、
独断と偏見以外の何者でもありませんが。



批評の観点は、

  • 恣意的な印象操作が行われていないか?
  • 「意見」の取り扱いとして、「誰の意見なのか」が明確になっているか?

といった点で行きたいかな、と思います。

(知識不足・勉強不足の私にできるのはその程度)。

※ 記事の選定は、たまたま(保守系かもしれない)自分が定期的にチェックしている産経のニュースサイトです。
  他意はありません。
  そもそも産経を定期的にチェックしているのは、産経の論陣に少なからず共感しているからでもあります。


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080924/plc0809241854013-n1.htm

 新首相に指名された自民党麻生太郎氏は24日、首相官邸で記者会見し、麻生内閣の閣僚名簿を発表した。名簿は官房長官が発表するのが慣例となっており、首相自身が発表するのは異例。新内閣にかける麻生氏の意気込みを示したものとみられる。

 外相には中曽根弘文元文相、財務・金融担当相には中川昭一政調会長を起用した。また、少子化担当相には小渕優子氏が抜擢(ばってき)され、戦後最年少の34歳で入閣を果たした。


> 新首相に指名された自民党麻生太郎氏は24日、首相官邸で記者会見し、麻生内閣の閣僚名簿を発表した。

了解です。問題ありません。


> 名簿は官房長官が発表するのが慣例となっており、首相自身が発表するのは異例。

へぇ、そうなんだ。知りませんでした。コレは僕の勉強不足なんでしょう。
ただ、そうならば、過去の閣僚発表の例も提示して欲しいところではあります。


> 新内閣にかける麻生氏の意気込みを示したものとみられる。

コレは、なぜそう「みられる」のでしょうか。
「通例ならば他人に任せるところを自ら発表したのだから、意気込みがあるに違いない」という推測ですね。
「みられる」は「推測される」と読み替えて差し支えないでしょう。
ただ、推測したのは、記者本人なんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

「みられる」という表現を借りて、記者自身の印象を紛れ込ませているのではないかと疑える書き方です。


もし仮に、その場に居合わせた記者たちが、
「新総理自ら発表される、ということに相当な意気込みを感じましたよ。」
というような意見交換があったのであれば、やや妥当性が増す感じでしょうか。


まぁ、それはそれで、滑稽な絵ですけれど。




今回取り上げた記事は、それでも、恣意的な印象操作を行っているとは読めませんでしたし、
「意気込み」云々の推測には自分も同意できると思えますので、
ダメと評するまでは至らないかな、と思いました。



と、まぁ、こんな感じです。



書き進めているうちに、このエントリーを建てようという動機にもなった記事を発掘したので、こちらも。


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080924/plc0809241710011-n1.htm


麻生太郎首相は25日、国連総会出席のためニューヨークを訪問し、さっそく外交デビューする。首相として小泉純一郎氏以来、3年ぶりの国連総会での一般討論演説で首相は、テロとの戦いや国連安全保障理事国入りなどへの日本の決意を表明する。27日未明に帰国する「0泊3日」の強行軍となるが、衆院解散・総選挙を控える中で首相は華々しい首脳外交を演出したい考えだ。ただ、不安定な政治状況にある日本のトップの声が、国際社会にどこまで響くのか…。

 国連総会が首相の初外遊の舞台となったのは、平成10年の小渕恵三首相以来。首相は10時間程度のニューヨーク滞在中に潘基文国連事務総長イラク、豪州両国首脳と個別会談する。ブッシュ米大統領との会談は調整がつかず見送られた。

 国連総会での一般討論演説では、アフガニスタンなどでの「テロとの戦い」に引き続き貢献する姿勢をアピールし、国連安保理改革と日本の常任理事国入りへの支持を訴える。また、7月の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)での成果を踏まえ、地球温暖化対策を日本が主導していく考えを示す方向だ。

 首相の初外遊について政府は「麻生外交の見取り図を示す舞台」(外務省筋)と位置づけ、自民党内でも「新首相を国際社会に売り込み、総選挙前に国内世論にアピールできる」と期待する向きが強い。


 だが、首相の決意が国際社会に真摯(しんし)に受け止められるのは政権基盤が安定していることが前提になる。7年前の米中枢同時テロから日本の首相は4人目とネコの目のように代わっているうえ、来年1月15日に期限切れとなるインド洋での自衛隊による補給活動継続の行方も視界不良のままだ。

 ましてや、カウントダウンに入った総選挙で自民党が下野する事態も十分予想される。外交筋は、「国際社会はいまの日本の首脳の発言をまともに聞くことはないだろう。日本は安保理改革も声高には主張できない」と指摘する。

 「世界はエゴイズムまるだしの国益のぶつかり合う時代に入った」(外交筋)とされるなか、同じ価値観をもつ国家と連帯する「自由と繁栄の孤」という首相の外交論がそのまま通用していくかは疑問だ。

 首相は、グルジア紛争でのロシアの横暴や北朝鮮の日本人拉致問題などについて日本の立場を毅然と示せるのか。麻生政権の最初の試金石になりそうだ。(高木桂一)

■最近の歴代首相の初外遊先

/橋本首相/平成8年2月/米国/

/小渕首相/10年9月/米国(国連総会出席)/

/森首相/12年4、5月/ロシア、米国など主要7国歴訪/

小泉首相/13年6、7月/米国、英国、フランス/

/安倍首相/18年10月/中国、韓国/

福田首相/19年11月/米国/


記事が長く、個々の文章に対するコメントは、ここまで長文を書いてきた自分の体力的に厳しくなってきてしまったので
割愛させていただきますが、

記者の意見を表明するために、論理を飛躍させて一方的な評価による印象操作とも取れる書き方をしているのがお分かりでしょうか。


たとえば、

> 首相の決意が国際社会に真摯(しんし)に受け止められるのは政権基盤が安定していることが前提になる。

何故?????


毎年政権担当者が替わっていた古代共和制ローマにおいて、
執政官の決意は真摯に受け止められなかったのしょうか?


必ずしも万人が同意できない論拠を前提に、論理を構築してはいないでしょうか?


政権基盤が安定していなければ、首相の決意が国際社会に真摯に受け止められない、という前提を、
読者に強制している書き方に思えてなりません。


あ、いや、政権基盤が安定していなければ、政策の一貫性を欠きやすくなるため、
政権基盤が不安定な政権担当者の発言にはイマイチ信頼感がない、というのは、判るんです。
でも、この記事(での記者の主張)は、それが判っている人に対する説得力はあっても、
それがわかっていない人にとっては、印象操作の感がぬぐえませんし、
そこまで推察できる前提が整っている人でも、この記事を、その行間を読むほどの真剣さで読むとも思えない以上、
論理の飛躍がある、断言するには説明が足りない、という点を指摘したいのです。




ただ、今改めてみてみると、記名記事なんですね、これ。

意見を述べる人の責任が明確になっている、という点で、まだ評価できます。