メディアに対する的確な批判は存在しているのか?
ここ何年も電波メディアの報道能力の低さに、見ていて情けない思いを抱いている私ですが。
今日はぼんやりと、何故そんなことになっているのかを考えてみましたよ。
前提として、民放は「視聴率が欲しい」という制約があるわけですね。
たくさんの人に見て欲しい、と。
すでに、リテラシーのある程度備わっている人たちは、Nステ以降の自称「報道番組」が、
報道の皮をかぶった「ニュースショー」であるということは知っているし、
そのような批判も数多くなされているかとも思います。
こういった、電波による報道に対する、「総論」での批判や、
特定番組の取材・編集姿勢への批判には枚挙に暇がありません。
ただ、個々のレポートに対する批判というレベルでのまとまった量の批評がないのが、
現実なのではないかと思います。
これがないのは、ある意味当たり前の話で、
一瞬で流れ去ってしまう電波ニュースを、的確に引用した上で、
個別的な評価を行うことが、現実的ではないから。
(意図的に「ラジオ」メディアは無視して進めます。
単純にテレビ前提の方が書きやすいからにすぎませんが、ラジオでも事情はほぼ同じでしょう。)
番組を録画する手段が普及する以前ならなおのこと、磁気テープメディアへの録画時代になっても、
毎日何時間も放映されるニュースを、ツッコミ所がないかと、録画し続ける、というような行為を行えたのは、
よほどの偏執狂だったでしょうし、仮にそのような人がいたとしても、その発表の場がありませんでした。
これから、地上波デジタルの時代がやってきますが、インターネットと合わせることで、
ようやくにして個々のレポートに対する批評を行いうる時代が来るのではないかと感じています。
いつでも何度でも参照できる動画サイトに、こうした報道への「各論」レベルでの批評が、
多く投稿される日が来ないものかと、そこはかとなく期待しているのです。
個別具体的な批判の目を感じることによって、
制作者が、自分の仕事の「質」を省みるようになれば、
記者クラブ発表をただ垂れ流すだけに終始したり、
アンカーの裏づけもないような個人的見解、意見、感想でオチをつける、
というような構成でお茶を濁すようなことは減っていくのではないかと。