東西の近世を分けたもの

昔はそこそこ読んでいた本を、最近はめっぽう読まなくなった中で、
バアア結婚してくれで(俺の中で)おなじみの、塩野先生の「ルネッサンスの女たち」が、
新装版で出ていたので、遅まきながら読んでいる。


塩野先生の筆致で、日本の戦国時代物が読みたいわけであるが、それはそれ。



「鉄・病原菌・銃」的な視点を輸入した最近の自分の脳みそでうだうだ考えていると


きわめて安定的な統一国家として、近世を歩んだ日本・中国に対して
相攻伐すること休む暇無し、の様相で近世を歩んだヨーロッパが、
結果として、白人帝国たる20世紀を現出せしめたわけだが。


近世の戦争経験値が、結果として20世紀の国力差を産み出したと、即断しそうな私がいるわけであります。




中世の終わりに当たる時期、戦乱に明け暮れていたのが我が国であります。


ルネッサンス期(チェーザレの時代)のイタリアとやってることもメンタリティも
ほとんど同じなんじゃないかと思えてくるのであります。


チェーザレと信長の対比というわかりやすいテーマについて考えるたびに、
日本の戦国時代とルネッサンス期のイタリアの類似性が浮かび上がってくる


その辺の話は引き続き妄想していくわけだけれども、
掲題の件。




「鉄・病原菌・銃」では、ヨーロッパと中国の差はなんだったのだろう、
という問いかけがなされた。


キーワードとして、「地形の複雑性」という要素も挙げられた。


日本の近世という視点を持って、このテーマに思いを馳せると、
統一国家の成立しやすさ】
みたいな要素が浮かび上がってくる


領域の広さと、地形の複雑さの両面に亘って、
近世のヨーロッパは統一国家を現出させにくい要素を持っていたのではないかと。



中国って、地形の平坦さゆえにからなのか、群雄割拠みたいな時代が
古代にしかないイメージ。

これは、少数の兵でも守りやすい、地形的な要害が少なかったからなのではないかと。


「地形」という要素が、戦争の趨勢において大きな役割を果たしてきたというか。


そうすると、群雄割拠状態が維持しにくいというか、
頭ひとつ抜け出せるだけで、統一に向かって不可逆的に巨大化できるというか、
大きな潮流にすべてが飲み込まれていくというか。


国史には何よりも不勉強な私は、中世以降の中国の王朝交代は、
「異民族」という外的要因が無ければ語れないんじゃないのとか思ったりしているわけだが。


翻って、日本はというと、守るに適した要害がたくさんあったおかげか、
中世を通じて強力な集権的な統一国家を持たなかったわけで(※)、
そういう意味ではヨーロッパと近い歴史を歩んできたんじゃないかと。中世までは。


が、日本においては領域が隔てられすぎており(他領域との戦略的な接点が皆無に等しい)、
かつ領域の広大さがヨーロッパに比べて圧倒的に足りなかったがゆえに
江戸時代という、よしりん先生曰く「ミラクルピース」(だったっけw)な時代を250年も続けることができたわけです。



結論というか、オチ的な話が何かっていうと、
東洋には、西洋のような「複雑かつ広大な領域」がなかった
ということなのかなーと。


複雑な領域・日本
広大な領域・中国


と、どちらかの要素を持った2地域はあったけれども、
どちらの要素をも併せ持っていなかったという。



よーし、おじさん、これを  群雄割拠安定な地政学的特徴  と名づけるとしよう! (ドヤ顔)



国史における北方異民族、西洋史におけるイスラム圏 という視点その他、
欠けている知見が多すぎて、何も自信を持って語れない俺なのでありました。






※ 鎌倉幕府室町幕府が、中国の王朝みたいな集権性を持っていたとは考えていない。
  北条執権家や足利家が日本という領域の中で突出した権威を振るいえた一時期がありえたという意味では、
  ヨーロッパと中国の中間くらいなのかもしれない。